明治時代の下水道【都市計画の戦略】

日常の戦略思考

あなたは下水道と言われて何を思い浮かべるでしょうか?

ほとんどの場合汚いイメージを持っている方が多いのではないのでしょうか?

しかし下水道はわたしのたちの健康を守る重要なものなのです。この記事を読んで至る所にある下水道の歴史やすごさを体感すると思いますので、気になった方はぜひ読んでみてください。

下水道の役割

まず、下水道はなんのためにあるのでしょうか?

それは私たちが病気にならないためです。ずっと汚物がある状態だと、虫や細菌が繁殖し不衛生になっています。あなたが下水道を汚いと思うのもそのせいです。適切な処理をされるまでに集め、匂いや汚物などを漏れないように道を作っているのが、下水道です。

下水道があるからこそ、私たちの清潔な環境が保たれているのです。

上水はきれいな水を通すための道だと考えてください。洗浄された水を私たちに運んできているのです。

コレラは衛生の母?

実は上下水道ができたのは近代です。

今までは汚物はそのまま野ざらしにされていたんですね。ハイヒールだって元々は汚物を踏まないための背を高くした靴だったのです。しかしながら、汚物をそのままにしておくわけにはいかない状況が世界各地で起こってしまったのです。それも都市部で、です。

19世紀はヨーロッパ・アジア諸国でも衛生問題・感染病問題が出てきたのです!

一番大きかったのが「コレラ」でした。元々亜熱帯での風土病だしたが、人やモノの移動が発達したことにより世界各地に広まってしまったのです。猛威を奮っていたコレラでしたが、1833年コッホが菌を発見したことにより、最近の研究が進み、上下水道の設備を行い、やっと収束しました。

そう、コレラが流行することによって都市の衛生環境に注目されることになったのです。

なのでコレラは衛生の母と言われるようになったのです。なければ、今でも不衛生な環境の中にいたかもしれません。

江戸時代の下水道事情

コレラが流行る前まで、汚物は野ざらしだといいましたが、実は日本は違いました。江戸時代までは汚物は貴重な資源だったからです。特に排出物はお金になり、経済的価値があったため、市場で流通していました。

汚物は農村で肥料や埋立地での利用価値がありました。江戸や大阪などは人が多いので汚物が多く、かえって近郊農村では野菜の肥料として利用価値があるので、還元システムが成り立っていたのです。

江戸時代においては、近郊農業の発展・農民の生活維持を実現する上で汚物が重要でした。または、売買のたいしょうでもあったため農民や業者が積極的に汲み取り回収を行なっていたんです。

これは衛生環境を一定に保つことができたものの、感染病の流行対策で政府が下水道設備が遅れた原因でもあります。

まとめ

時代が変われば、忌み嫌われている汚物も貴重なお宝だったと思うと不思議な気持ちになりますね。

また下水道のおかげで私たちが病気にならず済んでいるのが、ありがたいと思わずにはいられません。あまりいいイメージのない下水道の違った面が見ることができましたでしょうか。

これからも汚れてると思うかもしれませんが、私たちの安全を守っていい気分を保たせてくれている役割をみれば、見方が少しでも変わるかもしません。

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